20220710

 

独り言、つかれかきなぐり散文

 

femcelという単語が2018年頃から生まれた?私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い というよりも、はいどうせ私はモテないです放っといて みたいな感じだろうか。(前者はincel側が思ってそうなイメージ)

 

そんな単語も知らない中学~高校時代、私のマインドはかなり自虐的・ルサンチマン的だったように思う。お前らが悪いと思った事もあったのかもしれない。(環境的に無理ないかも?)それが習慣づいてしまい、しかも人生のエネルギーになるのだと信じていた。でも10代後半になり曲を作ってみた時、自然に出た言葉は違っていた。結局心の底ではそんなマインドは必要としていなかったと分かった。心の声を聞くのは難しい。今も多少捻くれた部分は残っている。捨てなくてはいいけど、もういらないかも

 

そんな中高生活を送った為か、自身の対人関係に対する視界が若干濁っているように思うことがある。やらなくていいことをやってる。要らないことをやってる。帰ればいいのに帰らない。今日みたくセルフサービスの紅茶をカップ溢れるまで注ぐみたいなケチ精神で諸々に待ちをかけてしまうのはダメだ。祖母がパチンコ上手なのは引き際を知っているから。引き際を知らないのは下手なプレイヤーだ(でもパチンコって、何が楽しいの、)

もう今ここにはなくても幸せな気持ちを知っているはずなのに、

ラブソングに気分を乗せられて気付いたら没木したペ○スを無理やり触らされていて笑ったことがある。いや笑ってない。悲しい。私が私をそんざいに扱っているのは自虐的感性の名残なんですか。なんだろう、やめてもらっていいですか?私は心底私をバカだと思った、けど、同時に私に本当にごめんねと思った。

見切り・引き際を分かってないと、NOがすぐに言えないと、損なんだ、千円札が吸い込まれていくように、時間が無くなっていく…。人によっては意味不明な悩みかもしれないが、私はそういう性格でいつからかそういう感じで生きてきた

 

中学生の時の私が見て笑ってる気がする。

言ったろうが!!その領域では損する。何もできないし、入る意味も必要もない。

そして23才の私は、でもお前の、その心底の歪んだ感情のせいでこうなってるんだぞと言い当てる。お前らが悪いとは思わずとも(多少そういうサブカルチャーやネットカルチャーを受けると思い流布した大人(概念)は悪いと思っている)そう、今は無縁な顔をしていたが、完全に自覚を抱いていた、社会の歪みの一部の影響下にあった。誰しも、言わないだけで見えないだけで受けているかもしれない。

自虐的感性など元々持っていなかったはず。向けられた歪んだ視点を理解力/判断力の無い子供心がまにうけて、受け入れてから始まったのか。だからもう要らない。NOと言えない私だからその感性を自分で取り込んだのか?

結局繋がっているんだ、そのcelibate的思考が、こうなってる。自分を守る為にしていたはずの思想で、自分が傷ついてる。

でももう体が先に疲れて、普通にクリアするかもしれない。面倒臭いの力は案外すごいものだ。

 

小学生の頃ははたまに離人症的な感じで乖離することがあった。あ、始まった と思うとずっとジャンプしていた。正しい感覚がいつどつやって戻るのかまでは覚えていない。魂が飛んで行ってしまいそうだった。

大人になって今そんな乖離とかはしてないけど、私は他者と関わる時自分がAUTOで話しているのを客観的に見ている感覚の時がある。でもそしたら人と結構仲良くなれたように思う。「自信が無いのならあるように見せたらいい、そしたら上手くいく」そう思い色んな場所で過ごした。上手くいくこともたくさんあった。でも、自分が自分でないみたいな感覚が朝起きても残っている時がある。でもそれがまた、前述したような対人関係に影響してくるのかもしれない。

もっと自然に過ごせたらいいな。でもまあ暗く見えるかな。

 

醜く見える文を他者に見える形で記録することがなぜ私に必要なのか。

自分の為に変わりたいと思うからだろう。客観視して、文章化して、初めてまたものを作る気になるから。