子どもの頃、田舎の象徴みたいで嫌だった地元のイオンは実は大人たちの理想郷だった

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2000年代、ジャスコ

 

小学生の頃、大好きだったピン芸人トミドコロが地元ショッピングモールにやってきて、サインをもらってあんなに幸せだったはずの私は段々と、映画 下妻物語の桃子のように、ローカルなショッピングモールに通っている大人はつまらない大人だと思い始めるようになっていた。

 

家族で出かける予定が地元ショッピングモールだと、行きたくないと言うようになった。ご褒美のようだったフードコートにすら、ダサいと感じるようになっていた。車で流れる、エレファントカシマシも私の耳から遠のいていった。

 

「やっぱ、東京じゃん」

そうそう、渋谷とか原宿。読モが着てる109のギャルファッション、ロリータファッション。そういうのが、雑誌の中で輝いていた。

実際常磐線ユーザである小学生の私にとっては親や祖父母に連れて行ってもらう範囲の世界だけが、東京。上野の美術館で見た阿修羅像が、幼い私の等身大の東京だった…。

 

(高校生の頃はとにかくアングラ的なものに心惹かれた3年間だったので割愛)

 

大学生。とりあえず消去法で選んだ学科のある東京の大学に通う。

都内まで1時間未満の常磐線ユーザだから一人暮らしはしないが、おお、ここは東京だ。

友達が出来て、とにかく出かける。ライブ、イベント、展示、古着を買いに行く。東京駅の一望できる丸の内のビルのレストランでアルバイトをして、「東京だなあ〜」そう思いながら自分なりに充実した時間を過ごしていたように思う。

 

未曾有の感染症が流行し大学にも行かなくなった大学4年生の春。

テレビでなんとなく見ていたニュースが大ごとになっていった。台湾行の航空券をキャンセルしてから、閉ざされた数年が始まる。

今振り返ってみれば、この数年は私にとって、世界にとってかなり大きな影響を与えていたのだと分かる。習慣がゆっくりと変遷したものだから、当たり前のようになっていた。

 

地元に居続ける生活が続き、地元が、ショッピングモールが段々と好きになった。

理由は色々あるが、大きいのは、母と車で病院に通うことになったとき、毎回帰りにモールに寄ってもらっていたこと。あんなに嫌だったイオンに、モールに、いつもと違う感覚を得たのだ。

 

(飽きたので突然結論に飛ぶ)

 

 

田舎住みは、みんな東京に飽きたら、地元のイオンに還っていくのだと確信したーー

 

何というか、現実世界でbackroomsが再現されているような感覚に陥る。tohjiの言うmallは近いかと思っていたが、インタビュー見る限り違う気がする

 

結論:子どもの頃、田舎の象徴みたいで嫌だった地元のイオンは実は大人たちの理想郷だったということが、社会人になってから判明しました。

 

 

〜2025年、日本一のイオンモールが地元に建つよろこびに寄せて〜

 

イオン系列のアルバイト3日でバックれたくせに、随分書くな!

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おわり