雑記3

言語というツールのにくさ


感覚や認識は共通項であるのに、伝達手段である言葉が統一されていないというのはもどかしい。が、ある意味文化構築において大切な異なりなのかもしれない。全部同じではしょうもない。もどかしくもあり、また素晴らしいものでもある。人生の面白さとは学びにあるのかもしれない、いや 学びにないと困るな 精神的に孤独なので。

 

 


日常と俗物からの解放、依拠地を必要とする人間の弱さ


自分が躁状態であろう時に決めた物事とそれによる結果を鬱状態の際に自覚することの気持ち悪さ。(自分におけるの躁/鬱とはアッパー、ダウナー程度の意味を表すために使っている) 躁鬱を排除した冷静な自己を保つにはどうしたらいい?そもそもそんなもの存在するのか?面倒だ。静かに暮らせ。真面目に自分に向いた好ましい仕事を選んでしろ。生活を守れ。できるだけ何かを習得しろ。そんなことをしていけばいいのに、SNSでの群れや虚像に食らってしまう我がしょぼさ SNSは何を明らかにしたか 人間のバカバカしさであると思う。フィルター越しの虚像に一喜一憂して、現存在を無視してしまう、私はここにいる私でしかないのに、過剰演出ばかりに目を向けては虚無しか残らないだろう。孤独?群れが必要か?そんなことはない、行為そのものに目を向けたらそんなことどうでもいいと思う。やる事がないというのは、やった方がいいことをやってないだけだと思う。情報を取捨選択すべきだ。

 

 

 

十九歳


1月の29日を以て19歳になる。皆は若いね、と言う。分かっている、自分が二十何歳かを過ぎればそんな事は言われなくなる。自分は他人に対して若いねと言いたくない。老いを認めたくないといえば、認めたくない。別に変わらない。憧憬と孤独と堕落を掻き混ぜた時間を相変わらず過ごしている。よくないけど。金髪に飽きた。20歳手前だというが、数字は何の意味も無いはずだ。しかし基準ではある。信用できる大人が欲しかった私は好きな大人たちを見つけた。信頼に対する飢えは特に無く安定はしていると思う。そもそも期待しないことを覚えた。諦念ではなく寧ろ希望である。存在を問う時間は続く。一秒毎に正解が存在しない。正解の基準は世間に委ねず自分で定めるべきだ。日常は簡単に終わる。人間は簡単に死ぬ。でも、誰かが死ねば毎日のように泣く。思考しない人間はただの肉でしかない。過去は存在せず、記憶があるのみだ。一つの区切りとして、春休みは、職業について研究したいと思う。一般概念に則って生涯設計を組むことは安定どころか大博打であると思う。自分に適したものを見極める時間が必要だ。これらは少し真剣に思っていることだから、現在から少し経った私はこれを茶化したりしないでほしい。当たり前の生活は存在しない、少なくとも自分の状況では。生活は難しい。守り続けることも難しい。求めることは悪とは思わない。しかし見えていない事が多い。地に足をつけた大人が好い。自分の気に入る十九歳になりたい。

 

 

 

 

後書き

 

田舎の街の遠い景色、夕焼に溶け込む先に一点の光が見えるとき、そこに光が、楽園が、桃源郷があるのなら行ってしまいたいと、ここ最近では何度も思うようになった。光が見えたときだけに見える気持ちは、強いものというよりは、ぼんやりでも真っ直ぐ導かれる感覚だ。疲れて、すり減っていくことだけが人生ならば、光の下が正しいと感じる。まだこの薄汚れた場所にとどまる理由が現れたなら、光よりも強い存在が現れるなら、この感覚はなくなってゆくかもしれない。そうしたら、空の先に、海の先に 私が待つものは、私を待つものは何なのか、まだ知らなくてもいいのかもしれない。そう思えるまでまた日常をする。目を伏せれば、睫毛の下に光が線になって伸びる。光はいつもそこにあることを忘れないで

 


義務とは言わないが


明るい生き方を求めていきたい。自分に好ましい働き方で、充実した社会貢献がしたい。信仰…というと少々宗教的だが、そのようになにかを信じることを元に強く生きてゆきたい。なぜ明るく生きたいと思うかというと、生まれた時から何も疑わず傷つかず生きてきた訳じゃない、誰もがそうだ。でもその中で傷つけられたまま項垂れて生きるには少々勿体無いのかもしれないと思ったからだ。たまにいいこととか最高な日とか素敵な人とか、出会えるし 目に見えない確かな熱が、誰しもの中に存在する。今はまだはっきり見えないんだけど、きっと私の中にもあるはずだ。前を向いて生きる、などと聞くと今時では正直ポジティブキャンペーンは疲れるしうんざりだ。この世界でそんなこと簡単に言える訳がない。ただ私は信仰を元に最善を尽くすという生き方ならできそうだと思った。19歳になって、生きる意味や時間の使い方を深く考えて決めていきたいと思った。大人になるとか子供のままがいいとかそういうことはもうどうでもよくて、好きな世界に私の力で貢献できることをしていきたいという気持ち。なにかに対してまっすぐに熱を傾ける生き方を目指していきたい。