雑記5

 

 

生活

 

 

生活というものが嫌いだった。

毎日同じことの繰り返し、それなのに付随する面倒、メディアが垂れ流す理想の家族や生活像。全てがうっとうしく見えた。

朝起きる、着替える、学校に行く、帰宅する、家事をする、入浴する、食事する、眠りにつく

人間としての営みをすべて省いて、自分に必要なこと、やりたいことだけしていたかった。

 

大学二年生になったいま、景色は変わって見えている。

生活にうつくしさが、たまに見えるときがある。

かつて大人たちがやっていたことは、ほんとうに意味があったのだ

 

 

世界が回るのは、その仕事、そのパーツを回す人がいるからなのだと思う。

 

今日あの家庭が回るのは洗濯物をする次女がいるから、今日あのレストランが回るのはあの週3シフトの眼鏡のアルバイトの学生がいるから、今日あの会社が回るのは、今日この世界が回るのは…

 

家庭から、政治から、全世界まで 小さいように見えることでも、人間ひとりの存在や仕事が、世界を回す実は大事なパーツなのだ、きっと。だからこそ何もしないでは生存の意義も感じられず、虚しく社会から疎外されているように思える

 

まるで世界の仕組みがすこしわかったような気分だ、

そしてそれが実際にそうだとして、そこに異議は無い

昔は怖かったことが、今は受け入れられている。

 

 

生活の肯定、それは人生の肯定を意味すると思う。

 

二人分の食事をつくって見えた世界の話。

 

 

 

 

 

 

インターネット

 

 

高校生になってスマホを手にしてから今まで、ネット、主にツイッターで友達を作ってきた。

たくさんの人格を作り、誰かに影響を与えられたり何かを共有することが好きであった。

 

ネットコンテンツとなるサークルを作って会長をしていた人、複数のアルファツイッタラーをしていた人、高校を中退しアルバイトをして暮らしていた人など、様々な人間と関わった。現在は繋がっていない。

 

その中で、会うことのなかった人たちの話をしたい。

まず一人は、メンタルヘルス関係の掲示板でメル友になった30代後半の男性の話だ。

 

当時私は高校三年生で、志望大学に全落ちし、まだ受験を続けるか浪人するか悩んでいた頃だった。

私は、軽い気持ちでそのサイトに登録した。誰もが話し相手を求めているようだった。

私はある時その人とメールを交換するようになった。彼はうつ病であること、古いアパートで独りで暮らしていること、コンビニでバイトをしていること、服用している薬はパキシルであること、趣味はドライブであることなどを、一日一通送ってくれた。

彼は私の話を聞くことはなかった。いくら内容に返信しても、「さてさて。。。」と、今日のアルバイトや薬を何錠飲んだかの話をただひたすら綴った。そんなやりとりが十数回続いたある日、突然本人かどうか確認したいから電話をよこすようにと言ってきた。流石にまずいと思い、浪人生活をするので…と書き残しそのサイトを退会した。

現在彼は何をしているのであろうか、というか、生きているのであろうか。知ったところでどうにもならないが、文面から想像したその生活は私の中に未だに存在している。

 

二人目は、ツイッターで友達になった比較的歳が近い10代後半の男の子の話である。

彼は高校を中退し、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた。沖縄に住んでいて、方言など色々教えてくれた(覚えているのは ちゅらかーぎー、これだけ)。彼は一度私に、君はこっち側の人間じゃないから現実でちゃんと幸せになるんだよ、と言った。素直な人のようで、アルバイト最後の日にもらったのであろうお菓子の詰め合わせに泣きそうになったという内容を投稿していたと思う。私は高校一年生で、カナダにホームステイをする学校のプログラムに参加していた。出発と同時にそのアカウントを削除しようと考えていた。彼は私が発つ日に、カナダの国旗の布に「チバリヨ〜(頑張れ)」と書いた写真を送ってくれた。彼はそのうち遠い県の工場で働くのだと言っていた。今はどこで何をしているのであろうか。

 

今思えばこれらは決していい事であったとは言えない。こうしたインターネットの人間関係によって起こる事件は少なくないからだ。しかし、私は自分のいる場所からは見えない世界、日本、人ひとりの人生の深淵を見るのにこうした作業は必要であったと今は思えている。一時的にでも他人の人生を覗き たまに歩幅を合わせる。仮に町ですれ違うことがあっても互いに気付くことはないのに。こういったインターネットで息をする生活は今は無いし、これからも無いだろう。でもたまに思い出すし、これからも思い出す。人間に対する興味を失わずにいられるのは、この過去があるからだと思う。

私は、私の中で彼らは、今日も生きている。

 

 

 

 

 

 

帰途、靴紐、空の色

 

 

君もそうかは分からないけど、私はつねに何かに対して、何に対しても

一周まわった様な、冷めた様な感覚でした。

あの建物がまだ鉄骨だったころ、私は何をしていたっけなあ

 

空の色が嫌いな人なんているのだろうか。

うすい水色と橙と桃色がコントラストになって雲影があわくただよう空を見て、写真におさめたいと思った。

しかし手元にスマートフォンも無く 少しとどまってただ、眺めた。

 

思えば毎回、空の色を見るたび写真に残そうとしていた。

手元に写せるものがない今、文字でどうにかつなげている。

 

理想論を捨て自然に落ち着いた私は、今年19歳だ。

何が変わっているだろうか、帰り道にバイトのメモ用紙に思いつくたび書き留めている。

考えれば考えるほど分からないことがあると知った。また、考えすぎはそれらを殺してしまうことすら理解した。

 

つまるところ恐怖なのかもしれない。

言葉に換えてゆくことで、自分は、自分だけは一周まわっているような気でいた。

私の目は冷めているままか。

 

それよりも、知りたいことは何だろうか。

明日の空の色なら、だれにも分からない。

私はそれを知りたいと思うよりも、今の水色にうっとりとしつづけている