アルティメットかなえちゃん2

 

アルティメットかなえちゃん2

 

 

自分は結構0か100かの人間なのかもしれない。20〜70の揺らぎを見せてくる人を見て泣きそうになる。

かなえちゃんも0か100の人間な気がするけど、彼女が私と決定的に違う部分は、彼女は暗い顔をしていない、常に姿勢良く前を見ている、卑屈さを感じない、そんなところだ

 

 

私はかなえちゃんとは一回しか話したことはない。それも、隣座っていいですか、の一言だけである。でも、授業のとき、たまに目が合うときに、勝手に、通じるものがあるような気がしてる。たまに学食で見かける。たまに廊下で見かける。たまに駅までの道で見つける。どんなときも一人で凛々しく歩いている。私はいつもそんな彼女の存在の強さにときめいている。

 

 

 

 

違和感

 

 

違和感を言葉にできるようになりたい。

例えば、女優が結婚した際に相手が芸人や一般人だと、前世でどれだけ徳を積んだ、、なんて言う人がいるけれど、その相手がその女優にとって素敵であったから以外に理由はないのでは、前世がどうこうなんてその人を否定するみたいじゃないか。とか、思うようになった。文句っぽい人間かもしれないけど、この違和感が何事においても大事なんだと思う

 

 

好きなものを好きと口に出さないといざという時なにが好きなのか忘れてしまっている

人生を揺さぶるレベルで好きなものはもちろん変わらないのだが、小さなこと…例えば好きなお菓子とかお店とか本とか…些細なことを私は隠してしまうのだが、そうするうちに忘れてしまっていて、人に教えないなんてけちなことをしてはいけないなあと思いながら、好きなものを口にするときっと幸せな気持ちになると思うから…

 

 

 

鴨川等間隔ならぬ、地下鉄等間隔

 

 

夜中の電車、目の前で過度に抱き合うカップルをラノベ読んでたおっさんがどついて出ていく。どちらも見てて苦しい。

インセル的な動機とは若干異なるかもしれないが、この感じをみごとに形容し問題を可視化してくれた(と私は思っている)小説を思い出しながら何度も頷いている。

この気持ち悪さの正体はなんだろう。心理学でなにか学説的なものはありますか?

 

 

私は、長らく、人から無害に見られることに忙しかった。何も意見を述べず、誰にも同調を示さず、中立を保つことによって、時には変な人だと思われることによって守られるものがあると信じていた。でも、好きなものを好きだと言えないのは辛いことなんだな。人目を気にしすぎる私はついに、電車にて 隣の一つだけ空いている席に親子連れが来て、子供だけが座り親が立っている状況になっただけで電車を降りてしまった。丁寧な親切が自然にできなくなったら終わりだ。勇気がいることは、常にビクビクしていてはいざという時に成しとげられないのか、、そう思いわざわざ降りた駅で改札を一度抜け、暑さに耐えられずもう一度入ったのであった。