朝食を待つ窓際で

 

 


恥の分だけ友達が笑ってくれるならそれでいいと思った。ベンチにもたれて、行き来する人を眺めては呆然とし、ふざけ笑っている時間だけが私の中で正しい気がした。授業をさぼってくだらない話をした日も、公園で酒を飲んで警備員に注意された日も、私には大学に来る意味そのものだと思った。クソなものはクソで、ダサいものはダサくて、良いものは良いってことを、いつだって言える。面白いことだけやれと言われたら一生やっていられる。今、生きてる意味すら分からないこの状況を笑い合うこと、それはなかなか、思い描いていた大学生活からは外れてはいなかった。

 


映画の延長線上に生活があるような気がしている。脱ぎ捨てた靴下さえも片付けなくてもいいような気がしている。キッチンで料理をする姿を眺めているだけで目が温かい水で滲んだ。夜中、帰り道一人で自転車を押して飲む缶チューハイが一番美味しいと思ってたけどそうでもなかった。友達が増えて、好きな所を真似したいと思った。優しさの暴力、暗喩の暴力だって無い。それが最高だってことはもう分かってるから言わない。地獄を見たから有難さが分かる。本当に笑っちゃう話だけど。私は傲慢さで大事なものを壊してしまうから、地獄だって必要なんだと思った。

 


だらしないままでいい訳がない。でもどうしようもない日々を偽る気もなくて、でももう少しだけ部屋を片付けて、花瓶に花を飾るくらいには、ちゃんとしたいと思う。朝食を待つ窓際はまだ少し先で、今は朝の湯船で一人、もっと手作りのもので笑えないかと考えている、フィルター越しじゃなくても、いいよね